のり丸@勉強法・受験相談室のブログ

主に中高生、高校・大学受験生に向けて効率の良い勉強法や受験相談などを行なっています(^^)
僕自身が大学受験でとても苦労しました…そして大学時代は塾講師と家庭教師を、現在は某高校の教師をしております。とはいえまだまだ若いですよ!!笑 君たち学生の気持ちも忘れていません!そんな僕なんかが皆さんの力に少しでもなれればと思いこの活動を始めます。よろしくお願いしますね^_^

学歴社会における受験勉強PART2

のり丸です^_^

パート1からの続きです。


僕は学生の頃、現代社会が何故「学歴」というものを求めるのか、ということを自分なりに考えてみました。


そして熟考の末たどり着きたのが、


現代社会への順応力の評価が学力の評価と同等である。


という結論です。


皆さんは社会が学歴を求めていることに、異論がありますか?ただそういう人の中にも、社会は順応力を求めている、と言い換えればその言葉自体に納得できる人は多くなるはず。


僕は受験における学力を、順応力とほぼ同等のものと考えています。


例えば皆さん、学力の良し悪しではなく特定のスポーツの良し悪しで大学進学が決まるのなら、多くの人は勉強なんかせずにきっとスポーツに没頭しますよね。面白い人、笑いの取れる人が大学に入れるのであればみんな吉本の芸人養成所に入りますよね。


要は大学に入れればなんでも良いわけです。大学に入るという目標の為にたまたま勉強ができる人、を大学が欲しがっているからそれに合わせてみんな学力を伸ばしているだけ。求めなければ多くの人は捨てるでしょう。いわば、学力は社会が求めるものにいかに高品質な結果で応えられるか、を測る尺度であると思います。


そう考えると色々な事を改めて考える必要がありませんか?

よく、スポーツができる人は勉強もできると言います。神経系のつながりが強いという意味で(僕は大学時代この辺を詳しく勉強していました…)は確かに事実なのですが、それ以上に僕は、


結果を残すために自分を抑え込み、努力した結果


であると思っています。いくらそのスポーツが好きと言えど、嫌いな練習は存在するし、それらを乗り越えての現状があるでしょうし、嫌なことをしっかりとこなす、つまり求められる環境にしっかりと順応した結果であると思います。


頭の良い人はコミュニケーション能力に劣る、などともよく言いますが、人間平等に与えられた1日24時間、自分達が遊んでいる間も自分を必死に抑えて勉強へ努力を注いできたと思えばコミュニケーション能力を欠いても仕方ないと思いませんか?コミュニケーション能力が養われるであろう遊びなどの対人関係形成の場を、社会の要求に必死に応えようとした結果、優先順位を変更しただけの話です。


そう思うと僕は頭の良い人は本当に尊敬できます。そして、学力社会に表面上の理不尽さを感じても、順応力を求める社会に反感は持ちません。多くの方もその点に関しては納得頂けるのではないでしょうか。


受験勉強は学力向上をひとつの手段として、真の意味では順応力を養っている。


そう思えば受験勉強、学力向上を評価することは理にかなったことであると思います。


いかがだったでしょうか。とはいえ、勉強大変だよね笑

勉強に行き詰まったとき、この話を思い出して少しでも気が楽になってくれたら僕としては本望です^_^


少しずつで良いから、勉強に苦労を感じてる人は参考にしてみて下さいね。頑張れ!!



では、今日はこの辺で(^^)

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